認知症介護日記その1

(2019年11月24日修正)

アルツハイマー型認知症患い、2016年春に亡くなった母の介護について書いていきたいと思います。

日記として書いていくので物語的な文章になります。注釈:認知症の症状は様々です。母の場合は一つの例として捉えてください。

では「きっかけ」の話を始めます。
思い返せばまだ父も生存していた2008年ぐらいから兆候があったと記憶します。母は67歳でした。

この頃は母の作る料理がワンパターンとなっていき、もともと美味しいとは言えないまでも、まだ悪くない味付けだったのが、濃かったり薄かったりと少しづつバラつきが出始めてきました。

それに合わせて外出範囲が少しづつ狭くなってきました。

当時の両親の買い物は、自家用車がなかった事もあり路線バスで10kmほど離れたスーパーで食品や日用品を買い揃えていました。

歳をとって自分の足で1km弱離れたバス停まで移動するのが辛くなってきた事もあってか、バスで出かける回数が減っていきました。ただ運良く、家の近くまで来る移動販売車が来るようになり、そこで食品を買う様になっていきました。

この頃は、私を含め子供(私の兄姉)は遠方や県外で働いていました。

私はこれまた偶然、転勤のため車で2時間ほど離れていた場所で働いていたので週末はサーフィン(地元の海はいい波が立つポイントです。)も兼ねて家に帰り洗剤等の日用品の買い出しをしていました。

両親の行動範囲は実家とすぐそばの畑、移動販売車がくる公民館となってきました。そして年金ぐらしの両親は生活のほとんどを家の中で過ごす様になっていました。

特に趣味は無く、ケーブルテレビ回線を家に通したことで、お気に入りの時代劇を延々と見れる様になり、食事以外は亭主関白で家事を一切しない父はテレビをずっと見て、母は家事と畑以外は父とテレビを見る生活でした。快適な暮らしを進めた全自動で乾燥もできるドラム式洗濯機を買って家に置きました。

そして二人とも足腰が弱くなっていくのがハッキリと見てとれました。

ある日、実家に帰った私は、たまたま洗濯機の『フィルター』の文字が点滅するのを見つけ、ホコリを取り除こうとフィルターを取り出したところ毎回取り除かないといけないホコリが、どう考えても1回分どころじゃない量がついていました。

私「説明書にも書いてあるから毎回フィルター掃除するだーで。動かんようなるで。高価なもんだけぇ、修理も高くつくがー」

両親「分かったで」

と言ったにも関わらず掃除しないことが何度も繰りかえされ両親に大きな声を出して叱ったこともありました。

(最近のおかーさんの料理の味付けは酷いし、洗濯機の説明書を見せているにも関わらず改善されない)

でも日常生活は問題なく送っていたのと、怒鳴り散らすぐらいなら親孝行するのは当然なので、たかだか数分で終わるフィルター掃除は俺がやれば良いや、と思い、しばらくは何事もない様な日々が過ぎました。

しばらくして、私は京都に転勤となり月1度の帰省となりました。

両親のことは気にはなるものの、一応は日常生活を送っている様だったので、そこまで不安にはなっていませんでした。

京都での勤務が3年ほど経過した後、また鳥取の勤務となり、当時の上司の気遣いもあり、家に比較的近い勤務場所となり毎日両親の様子を見られるようになり始めたました。

ところが鳥取に戻ってきて1年目の12月に父が入院することになりました。

いつもの様に私が仕事を終え家に戻り両親の様子をみると、父がベッドの横に体育座りをしていました。

私親父、どうした?大丈夫か?」

父「大丈夫だわい。すぐベッドに横になるけぇ。」

父が受け答えできたものの、いつからその状態か母に聞いてみると

母「トイレから戻ってきて座り込んだみたい」

と返答されました。

その日は勤務先近くのアパートに帰り、翌日同じ様に夜に家へ帰ると、驚くことに父は、前日と同じ場所に体育座りのままでいました。

すぐに近くにより触れてみると体温はあるけど問いかけても手を握っても反応がありません。

私「お母さん、親父は昨日からこのままなの?!」

母「えー、今朝、朝ご飯食べたでー」

父はじっとしている生活が続いていたことで食事を朝と夜の2回しか食べなくなっていましたのは確かでした。

それにしても全く動いた様子もないのに母が言っている事は明らかにおかしいと判断し、救急車を呼びました。

きっかけの話は以上です。
これから母の認知症の症状が一気に表面化するお話になりますが、長くなるので次回にします。