認知症介護日記その2/更に進む認知症の症状・一人で介護する限界を感じた

(2019年11月24日修正)

アルツハイマー型認知症患い、2016年春に亡くなった母の介護について書いていきたいと思います。

日記として書いていくので物語的な文章になります。

注釈:認知症の症状は様々です。母の場合は一つの例として捉えてください。

前回の記事はこちらです。

認知症介護日記その1/認知症に気づくきっかけの症状について・普通に生活している様に見えるが何か変


目次

進む認知症の初期症状

父の入院、母の一人暮らし

それまで両親が二人で実家に住んでいましたが、急遽父が入院する事になり、母が一人、家で1日を過ごすことになった辺りからアルツハイマー型認知症の初期症状が以下の様に顕著に出てきました。

初期症状

  • 夜でも蛍光灯やテレビを消さない(元気な時は、寝るときは必ず消灯していました)
  • テレビの音量がかなり大きい
  • ご飯の調理中であることを忘れ、鍋やヤカンをガスコンロにかけっ放し(安全装置のおかげで火事にならなかった)
  • テーブルの下にゴミや小銭を溜め込む
  • 失禁
  • 食事後の食器を洗わず、そのまま使う
  • カビの生えたご飯を食べる
  • 目の前にある食品を全て食べる
  • ゴミ捨てをしない
  • 時間・曜日の感覚がない
  • 会話が成り立たない

これらの症状は下にいくほど徐々に私が気づいたことです。

介護の相談に行く前に出てきた初期症状と思われる行動です。
幸いにも徘徊がなかったのが救いです。

母の場合の初期症状の状況説明

夜でも明かりを消さない

節約が大事と言っていた母が、夜中も明かりやテレビを点けっ放しで生活し始めたことが信じがたいものでした。
俺「寝るの?明かり消さないの?テレビ消す?」
母「後で消すわ」
と言って、テレビは消していましたが蛍光灯は点けっ放しで寝ている日が多くなりました。

テレビの音量が、かなり大きい

母は、私が離れた位置にある自分の部屋からでもドア越しにはっきり聞こえるぐらいの、かなり音量でテレビまでの

距離が1.5m程度の場所で見ていました。

流石に私が寝ようとした夜11時ぐらいでもその音量だったので「勘弁してくれ」と伝えたものの、以後改善は見られませんでした。

ご飯の調理中であることを忘れ、鍋やヤカンをガスコンロにかけっ放し

母は調理しようと台所で準備をした様子がありましたが、結局そのままで忘れているようで底が焦げ付いた空の鍋がコンロの上に放置してありました。

コンロのセンサーが反応して火は自動的に消されたようで、ガス漏れなく火事にならずほっとはしました。

テーブルの下にゴミや小銭を溜め込む

偶然、居間に一緒にいた母がティッシュで自分の鼻をかみ、直後にティッシュをゴミ箱でなくテーブルクロスをめくり、下に入れたところを見つけ、気になりました。

私「使ったティッシュをゴミ箱に捨てないの?」

母「え?」

様子がおかしいので、居間にある背の低いテーブルにかけてある白いテーブルクロスをめくって下を見ると、ティッシュのゴミだけでなく、食べかけのお菓子、小銭、郵便物、ダイレクトメール、いろんなものが何も考えなしで詰め混んでありました。

私「なんじゃこりゃ!理由あんのか?!あるんなら言え!」

こちらが言っても聞かないことが増えていた、イライラもあり私は思わず、怒鳴り声を上げてしまいました。

当然、母は何も答えられません。後から知ったのですが認知症の初期症状の一つにゴミを溜め込む事例があるようです。

目の前にある食品を全て食べる

多分冬前だったとは思います。ある日の午前中、母が移動販売で買った1袋10個入りのみかんをテーブルに置くのを見かけてました。

そして翌朝に、私がみかんを食べたいと思って、

(昨日、みかん買ってたよね。頂こう)

探してみたけど、テーブルどころか冷蔵庫の中にもみかんが見当たりませんでした。

しかしテーブルの上には向いた後のみかんの皮が重ねられていました。

でもちょっと多いな?と思って数えてみると、ちょうど10個分ほどあって驚きました。

まぁ母はみかん好きだし、たまたまかとその時は思いましたが、数日後、また同じようなみかんを1袋買ってテーブルの上に置いていました。

翌日見るとやはり全て食べていました。

認知症の症状の一つで食欲と満腹感がおかしくなることがあるそうです。

食べ過ぎたら太るだろうと思っていましたが、どうやら一気に大量に食べても消化機能が追いついて無いようで、それで大量の便を出すようになっていたと考えられました。

また冬になって、年末年始に帰ってきた姉が、自分が食べたいと作ったカニ鍋を翌日も雑炊にしようと残しておいたところ、翌朝には母が残っていたカニの身を全て食べていました。

みかんだけでなく目の前にある食べ物を全て口の中に入れてしまうようでした。

認知症の症状で「異食」のようでした。

母の場合は食べ物しか口に入れませんでしたが、人によっては食べ物ではない、服や観葉植物でも口に入れてしまうようです。

食事後の食器を洗わず、そのまま次の食事で使う

ご飯を食べた後のお椀などの食器がそのまま放置してあることが頻繁に見られ、食べ終わったあとの惣菜のパックなどのゴミもテーブルの上にそのままで明らかに片付けていませんでした。

母「後で洗う」

この頃には、私は母がかなり面倒く下がりになってしまったんだなと、思いながら私が食器を片付けたり、ゴミを捨てたりして、まだ認知症に気づいてはいませんでした。

カビの生えたご飯を食べる

私は仕事が終わっていつもの通り夜に実家に帰って、たまたま気になって炊飯器を開けてみると、中のご飯にカビが生えた状態でした。

私「このご飯は、いつ炊いた?」

母「今朝炊いた」

即答です。見つけた日は春先で、暖かい日が続いていましたが、どう考えても朝炊いた米が夕方にカビが生えるわけがありません。当然保温機能が切れた状態です。

失禁(大)の理由はこのカビが生えたご飯が原因かもと思いました。

認知症の症状がでもあるようで、母の五感は十分に機能していない様で、腐ったものでも食べるし、失禁しても臭さや衣類の不快さも感じてないようでした。

失禁

そして失禁。

最初の頃はトイレの中で服を脱ぐのに間に合わなかったとみられ、母もまだ自覚があったからか、トレイが終わってすぐに洗濯をしているようでした。

認知症の初期症状を疑い始めてから日に日に、トイレにいく途中、座ったまま、寝た状態と症状は進行して行きました。

加えて、トレイが大便で大変な事になっていました。

様子見で家に帰る度に、トイレを確認するようになりましたが、ドアを開けた途端臭いが鼻に入り、便座や周りに便がついていることが多くなりました。

母は視力と嗅覚も鈍っていたようで、トイレが汚れている事に気づいていないのか、掃除する様子はありませんでした。

掃除しながら不思議に思ったのはそこまで沢山食べていないはずなのに、なぜ毎日のように大量に便が出るのかというと点でした。これについては後ほど触れます。

毎日、私がトイレ掃除をしましたがその度に、自衛隊で清掃について徹底的にやらされたとは言え、トイレ掃除の耐性を身につけたことをありがたいと感じました。

また、介護施設などに相談に行く直前の頃は、布団の中で失禁しても気づいていない状態でした。

ゴミ捨てをしない

みかんの皮はほったらかし、テーブル下のゴミもそのままの状態だったので私は怒鳴りながら母に注意しました。

そうすると母は「後で片付けるけー」

母が自分でやると言ったのを聞きましたが、私は怒りもあり、自分の部屋に戻りました。

結局はそのままでした。同じやり取りがしばらくの期間くりかえされました。

私自身が、かなりのストレスを抱えている状態になりつつありました。

時間・曜日の感覚がない

ケーブルテレビばかり見ていると同じ番組の繰り返しなので曜日感覚が乏しくなっているようでした。

また、まだ自分で動いて外に散歩ができる状態での時、出かけようとしていたのを見かけたのでどこに行くのか声をかけると

母「バスに乗って用事をする」

用事をする、は買い物や銀行に行くとかの母なりの表現です。

気になったのは、バスの時間です。実家はかなりの山奥の集落で、バスは昼間だと3本しかありません。

どう考えてもバスの時間では無いのに、バスに乗って出かけるという返事は理解できませんでした。

確かに足腰が弱って歩くのが遅くなってはいましたが、それを加味してもバスが来るまで停留所で3時間程度待たなければいけない状況でした。

訳が分からないけど、用事をしたいんだろうと、私が車で連れて出かけ買い物などを済ませていました。

会話が成り立たない

上記からも分かるとは思いますが、会話が成り立っていないことが日に日にはっきりとわかってきました。

それまで母の食事は移動販売の車が近所までくれば出かけて食材などを買いに出ていたようでしたが、それも徐々に無くなっていったようです。というより移動販売がやってきて放送で告げても、来ている事を数分で忘れてしまっている様でした。

移動販売のおじさんが気を利かせてわざわざ玄関口まで商品を運んでくださったので、食べ物を買うことができていた様です。

お金に関しては、母が銀行に行きたいとなったら、私が平日に休みをとって連れて行きまとまった金額を窓口で引き出す様にしていました。ちなみに私が買っていた日用品などは自腹を切っていました。

炊飯器で米を炊いていること(米は無くなる前に私が買い置きする。機械任せなのでセットしてしまえば炊ける)、私の買ってくる惣菜やお菓子、近所のおすそ分けの果物、たまに移動販売でも玄関先まで来る業者がいれば買い込む等で食事はなんとかなっていたようです。

ストレスで限界直前に

流石に状況から判断して、母は日常生活ができていないと判断し、介護施設などに相談することに決めました。

加えて、私のストレス、心労も限界が近い状態でした。

自衛官で良かった

ただ私の場合は自衛官的な思考があったので、不可解な母の行動に限界ラインを事前に設定していました。

それと、ストレスが溜まった状態の兆候が自分に出ていた事に気づいたのは、自衛隊の中で心理カウンセリングスクール的な教育も受けていたことが大きく感じました。ちなみにこの教育の本来の目的は職場内で心理的ストレスを抱えた部下や同僚に対してのケアです。

「仮に認知症だとして、このラインを超えたら、一人では対処できない。関係各所に相談に行こう。」

と心に決めました。

認知症と分かったのは介護ケアマネージャーさんに相談し、お医者さんに診断してもらってからでしたから、この段階ではまだ認知症とは疑いつつも、日常生活が送れると思っていました。

介護疲れの話を見聞きして思うこと

なぜストレスが溜まってイライラする前に介護の相談をどこにもしていなかったのかと言うと、父の入院の世話もして、仕事もしてと時間の余裕がありませんでした。

思えば、よくニュースなどで聞く介護疲れからくる鬱や自殺、暴力行為などの悲惨な結果は、介護する側も高齢だったりと体力が衰えて、ストレスで心が弱って余裕がない状況じゃないかなと経験的に思います。

次以降は、介護の相談と引き続き母の認知症の状況を書いていきたいと思います。

このブログを読んでいただいただけでも、様ざな症状が認知症には見られます。

たまたまですが、母には徘徊癖がなかったので幸いでした。

母と同じ症状が出るとは限りません。事前に症状について触れた本を読んでおくことを是非お勧めします。

次の回はこちらです。

認知症介護日記その3/福祉協議会、行政に相談、専用のケア施設への通所を開始するまで

「うちの家族、認知症?」と思ったら読む本