サーファーのパイロットとお天気屋さんの話

「ちょっと天気図見せてくれ」

そうちょっと偉そうに言いながら気象室に入ってきた夏制服姿の幹部自衛官は、少し小柄で少しだけお腹が出ている見た目50代前半のおじさんで、肩には3等海佐の階級章、左胸にはパイロットを示す金色の航空操縦士徽章(きしょう)のバッヂをつけ、右胸の名札にある役職を確認すると飛行隊長でした。

16、7年ほど前に勤務をしていた海上自衛隊の航空基地での話です

確か特にフライトもなく、天気も良い金曜日の午後だったと思います。

当時の私は、まだ3等海曹だったので、彼より階級は7つ下だったこともあり、すぐに「お疲れ様です!」と気をつけの姿勢をとり頭を10度ほど前に傾ける敬礼をしました。

飛行隊長は、天気図を見せてくれと言う割には壁に掲示している地上天気図や気象予報資料を見ず、ある図だけまじまじと見ていました。

横から覗き込むとそれは沿岸波浪24時間予想図と言う波と風の予想図。

こちらから質問する前に飛行隊長が

「隊長はサーフィンするんだよ」

聞いてもないのにちょっと自慢っぽく呟いたのが印象的でした。

彼はその部隊に転勤してきたばかりで、当然、私がサーフィンをしている事は知りません。

「明日はサーフィンできるかなぁ」

そうもつぶやいていました。

その時、私は自分がサーフィンをやっている事は黙っていました。

それから2週間ほどして、たまたま海に入っていた時、波に乗って最後のフィニッシュを決めようとした時、波打ち際近くでファンボードを脇に置いてにっこり笑いながらこちらを見ているおじさんがいました。

「お前サーフィンやるのか。うまいなぁ。」

飛行隊長に発見された瞬間です。

すぐに「お疲れ様です!」と部隊で行う敬礼のように挨拶をしました。休日とはいえ相手は3佐、私は3曹。階級は7つも違うし、パイロットだし。

「俺、実はサーフィン始めたの最近なんだ。教えてくれよ。」

飛行隊長はそう言ってにこやかな表情をこちらに向けました。そう言うものの、私としてはちょっとビビっていました。

何せ3佐、パイロット、人生の先輩。上位者なので到底、下から何かを教えるなんて恐れ多いと当時は考えていました。私が仮に定年まで勤務していたとしても、おそらくこの3佐という階級にはなれなかったと思います。

その時は、おそるおそるパドルのコツや波に乗るテイクオフのタイミングといったサーフィン基礎を説明しました。

その後は、飛行隊長から気象室に内線電話がかかってくるようになりました。

確かに波浪予想を聞かれましたが、海自のパイロットなら波だけでなく、潮の満ち引き、海水温、月齢など海の状況を常に把握するのは実務として当然で何の問題もありません。

ただし、私が席を外している時にかかってくる電話は、ほぼ「また後で掛け直す」と電話を取った人たちから聞いていました。

ちなみに普段の気象・天気予報は幹部自衛官の気象予報官が行う業務なので私が対応することはありません。

当時はスマホはまだごく一部の人しか持っておらず、その頃の携帯電話(フィーチャーフォン・折りたたみのぱかぱか携帯)では波情報サイトは有料で見れるものの、波情報コンテンツ自体が乏しく精度がそこまで高くありませんでした。

今は多くのサーファーが見ているリアルタイムナウファスも配信そのものがされていなかったと思います。

私の職場だった気象室は、気象庁から様々なデータが入手できていたので、当時は珍しいリアルタイムの波浪観測データも見ることができたので波予想をする上で欠かせない経験を積めました。

ただ飛行隊長は、週末には遠方に建てた自宅に戻り家族サービスをしなければならないようだったのと、基地から近いサーフポイントは乗れる波があまり立たないことで、海で一緒になることはほとんどなかった記憶です。

それでもサーフィンに関することはいろいろ聞かれました。

私としてはいろんな意味で立場が上の人がいろいろ教えて欲しいと言われることに驚いていましたが、後々の人生を振り返ると勤勉で成長の早い人は立場が上でも謙虚な姿勢を取ります

その後、私は一年も経たず、転勤してしまったので連絡は取らなくなってしまいました。

もう定年を迎えている飛行隊長、今でもサーフィン楽しんでいますか?

年輩のサーファーさん達に波のことを聞かれるとふと思い出します。

以上です。