なぜ年長者が老害と呼ばれるようになったかを考えてみました

2018年の7月は異常な暑さ、西日本豪雨災害、そして台風12号の東から西へと進路をとったりと異例づくしとなっています。特に異常な暑さに伴い熱中症患者が連日のように発生し、ニュースでも大きく取り上げられ、これに関係して私がツイッターでつぶやいたところ初めてのバズりを経験することとなりました。

で熱中症の話からネットでよく見られたのは

年寄りがエアコンを使わずに熱中症になる

昔はエアコンがないのが当たり前だったから、エアコンに頼るのは甘え

家のおじいちゃんが電気代がかかるからとエアコンのスイッチをいれらない

一番上以外では熱中症患者を増加させるような老害発言が知り合いを通しても耳に入ってきました。

7月20日行われた日本救急学会の緊急発表の中に、お年寄りは皮膚の感覚が鈍くなっており暑さを感じにくく、結果としてエアコンがなくても平気と思い込み熱中症に至るとの内容がありました。

30年以上前では確かに平均気温も現在より低かったのでエアコンは必要なかったでしょう。

またエアコンは電気代がかかるのはよく言われていますが、そもそも30年以上前に建てられた家は気密性が低く断熱材があまり使われてない家屋の方が多く冷えづらいためということも考えられます。そしてエアコン自体を長期間作動させていないのでいざ電源を入れても潤滑油等が劣化しているため余計に電気が消費されます。最新のエアコンで気密性の高い家屋なら驚くほど電気代がかからない話も聞きます。

そして年長者は、ニュースで熱中症予防を呼びかけても一向にエアコンを使おうとしない傾向が見られます。なぜかと考えてみました。

行き着いたのは、戦前より日本では、年長者を敬いましょう、大事にしましょうという儒教的思想が根底にあることが要因ではないかという推論です。敬老の日が祝日であるのがその象徴の一つとも思えます。

ではなぜ年長者を敬うようになったのか推察していきます。

随分昔、まだ一般的に紙が普及しておらず識字率も高くないころ、災害の予兆や農作物の出来の良し悪し、住人同士の揉め事解決は年長者の記憶に頼ることが多々あったと考えられます。

戦国時代の平均寿命は50歳いかないことが当たり前で、50年に一度大雨が原因の災害があっても経験者が生きていないことがあったと思われます。その時代なら年長者は経験を踏まえた貴重な記録を記憶として持つ存在であり対策を知るものであったと考えられます。また身体的に病気に強い面もあったと考えられるので尚更尊敬の対象となり大事にされるでしょう。

ところが現代の記録は年長者の記憶に頼ることなく紙媒体、電子媒体、クラウド、インターネットで様々で膨大な知識が図書館以上に蓄積され容易に手に入れられます。こうなるとエアコンの件のように年長者の経験に基づく考え・判断が間違いであることがすぐに分かります。

でも年長者は、年上だから尊敬される対象で正しい判断を下せると思い込んでいます。(幼い頃から年長者を敬う教育がされていることも相まって)ところが客観的には粗暴で自己中心的な言動なだけで老害と呼ばれる存在になったのではないかと考えます。

個人的には第二次世界大戦が終戦を迎えた時に15歳前後だった人から1970年ごろ生まれの人に古い間違った記録や曖昧な記憶に頼る傾向の人が多いと感じます。

今回は熱中症の件で老害の話を書きましたが、そもそものとっかかりは亡くなった父から受け継いだ山林の土地売買に関わる専門業者さんとの交渉にありました。

山といっても手続きは普通の土地売買とほぼ同じですが、困ったことに隣接する土地との境界がはっきりしてないのが交渉が複雑になるようでした。住宅と違って塀があるわけではありません。境界を決めるために隣接する土地の持ち主と現地に立ち会い、ここが境目という場所を決めました。決め手は植わっている木の種類でした。

昔は田舎なら山に詳しい年長者がどこの集落にも2〜3人いて山の持ち主が曖昧にならないように口伝えで引き継がれていたようです。しっかりと管理されている山林であれば明治以前でも紙の記録が残っている場合もあるそうです。

以上です。

Amazon広告